綿業会館について


遥かな刻の憧憬
 はなやかなる歴史の舞台への誘い


綿業会館は昭和6年(1931年)12月、日本綿業倶楽部の建物として竣工し、翌年1月1日に開館しました。
設計は渡辺節氏が担当し、ヘッドドラフトマンには村野藤吾氏が参画しました。


 各部屋のスタイルを変えたのは、世界各国の来賓や、会員の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという設計者の配慮によるものです。
 様式のみならず、将来の本格的な冷暖房の普及を予想してダクトの径を太くして建物に内蔵させ、当時からすでに、井戸水による冷風送気を行い、地下室に冷暖房設備のスペースを残すなどの工夫も見られます。
 また、各部屋の窓に鋼鉄ワイヤー入り耐火ガラスを使用していたため、戦火をまぬがれました。

 このようにこの建築はデザイン面の素晴らしさだけでなく、設備の面でも先駆的な試みがなされています。
 まさに名実ともに戦前の日本の近代美術建築の傑作と言われ、高く評価されています。



 激動の昭和史を生きたこの建築の歩みを見ますと、たいへん興味深いさまざまな歴史があります。
 開館早々には、リットン卿らの率いる英・米・仏などからなる国際連盟満州事変調査団の来館、その後も、各国の要人が来館し、国際会議の場としてもよく利用されました。

 戦時中は、一時倶楽部活動を停止していましたが、戦後の業務再開後も、国際的にも国内的にも脚光を浴び、各国の使節団が相次いで来館しており、綿業会館は、戦前戦後を通して、華やかなる歴史の舞台をつづけております。